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| 1600年の歴史がある臨済宗のお寺―霊隠寺。神話上のインドから飛んできた飛来峰があるほか四天王殿、本堂、薬師如来殿があります。(生活、仕事、健康をそれぞれ守る神様)また日中友好記念で空海の像も建てられている。 |
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| 西湖十景のひとつである「南塀晩鐘」の所在地です。浄慈寺は953年に呉越王の勅願によって建てられたお寺で、日本曹洞宗とも深い関係があります。日本の曹洞宗の開祖、道元禅師に法を授けた如浄大師のお墓がここにあります。道元禅師が24歳で中国へ留学しました。その時南宋の時代でした。たくさん中国の山を遍歴した後、26歳の春、たまたま天童山景徳寺に住職となっていた曹洞宗の流れをくむ如浄禅師に会ったし、釈尊以来の正伝的な仏法を相承することができました。 |
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| 現在、天目の名は一般的に黒釉のかかった陶磁器の総称として使われています。しかし、元来は今からおよそ千年前、中国宋代に生まれた陶磁器の呼称でした。そもそも天目は鎌倉時代の禅僧らが宋に渡り修業し、その時に持ち帰った天目茶碗が渡来の始めであったことは有名です。彼らが学んだ禅源寺などの名刹を擁する天目山がその名の由来といわれています。天目茶碗の中でも、際立って難しいものが油滴天目です。現代に再現されたものは禅源寺に保存されています。 |
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| 径山寺は、唐の時代に法欽僧侶より建立され、日本仏教の臨済宗の発祥地と言われています。日本茶の祖といわれる栄西も、この余杭に一時期滞在したといわれました。その後、大応国師別名、南浦紹明入宋して、帰朝の際、この径山寺から茶の臺子(茶の湯で用いられる棚)などの茶道具一式を持ち帰って、中国の茶の方式を大徳寺(京都)に伝えたといわれています。 径山寺では、古くから「茶宴」と呼ばれる僧侶の開催する茶道会が開催されていたといいます。室内に名人の書画が飾られ、また新鮮な花を生け、茶を仏像にささげた後、香りを聞き、色を楽しみ、味を鑑賞し、そして批評しあったと言われています。この茶宴は、大応国師などによって日本に伝えられ、日本茶道の原型になったとも言われます。
ほか、径山寺第34代祖師無准師範祖師の時代に、数多くな日本僧侶が径山寺に上りました。当時の径山寺うどん、味噌の作り方をも日本に伝わりました。鎌倉時代には、「覚心」が径山寺で修行中に醤(ひしお)製法を学んで帰り、紀州の興国寺で製造をはじめたのが、「醤油」のはじまりだったといわれます。 |
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| 江戸時代に書かれた[虚鐸伝記国字解]に依れば1254年(中国の南宋時代)禅僧覚心が禅修行の帰途、杭州護国寺より尺八を吹く3居士を連れ帰ったとされる。その中の一人寄竹が我が国の普化尺八の祖虚竹禅師とも云われている。 |
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| 永福寺は杭州霊隠寺の西約1キロに位置してます。60年前に廃れてしまいましたが、2006年重修が完成し、正式に開放されました。「近世日本琴学中興の祖」、「篆刻の父」、又「詩文」と「書画」、特に「隷書」をよくした文人僧侶として知られる東皋心越禅師は杭州の名刹永福寺の住職でした。禅師は1677年長崎港に入港しました。禅師の渡日をきっかけに日本の古琴を再興し、その後の250年間その流れが続きました。禅師が日本に渡る前に5年間住職を務めていたのが杭州永福寺でした。 |
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