杭州はあの呉越の戦いの舞台 
仲の悪い者の象徴として「呉越同舟」という言葉でも知られる、中国古代・春秋時代の呉と越。もともと「呉越同舟」とは、呉王・闔廬(こうりょ) (?~前496)に仕えた孫武が記したとされる兵法書『孫子』に出てくる例え話で、「憎しみ合っている呉と越の人が同じ舟に乗り合わせたとしても、一度(ひとたび)大風が起こって舟が転覆しそうになれば、常日頃の憎悪も忘れ、互いに手を取り合って助けようとする」ことから、軍を巧みに操るには自軍を戦うしかない必死の地「死地」に置くよう説いたもの。その故事によって「仲の悪い人たちが共通の目的に向かって協力し合う」意味となった。最近では単に「仲の悪い人たちが同席する」状況を表すのに用いられることも多い。 
 
会稽の恥と臥薪嘗胆のストーリー 
紀元前6世紀末(春秋時代末期)、呉越の戦いは、ますます激しさを増していた。呉は現在の上海周辺、越は紹興周辺に拠点を持ち、杭州の呉山あたりを境として南北に対峙していたのである。前述の呉王・闔閭は楚を破って威を振るったが、最後は越王・勾践(こうせん)(?~前465)との戦いで負傷して戦死。その後の経緯には諸説あるが、元代の歴史書『十八史略』によれば、父・闔閭を殺された新しい呉の王・夫差(ふさ) (?~前473)は日々「臥薪」、夜ごと薪の上に眠り復讐を誓って勾践を倒すに至り、そして夫差に敗れ、その下僕となった勾践は毎日「嘗胆」、苦い肝を砥めて屈辱を晴らすべく機を狙ったという。この逸話から生まれたのが成語「臥薪嘗胆」である。また勾践が現在の浙江省紹興市南部にある会稽山で、呉軍に囲まれて降伏したことから、敗戦の恥辱や他人から受けた耐え難いほどの辱めを「会稽の恥」というようになった。 
 
傾城の美女、杭州出身「西施」 
その「会稽の恥」をすすぐため囚われの身から脱した越王・勾践が奥の手として敵国・呉に送り込んだのが、西湖の名の由来になったともいわれる絶世の美女「西施」たった。好色な呉王・夫差はこの色仕掛けにはまり、女色に溺れるようになる。国政をないがしろにした結果、国力は日に日に衰え、そしてついに勾践は宿敵・呉を滅ぼしたのだった。
 夫差は自ら命を絶ち、春秋の天下に覇を唱えんとした5人の君主「春秋五覇」にも列せられる闔閭・夫差両王が率いた大国は、傾国の美女・西施によって敢えなく倒された。その後、西施は故郷・越によって救い出されたものの。「美女は国の災い」として殺されたという(一説には、越時代に恋仲だった勾践の家臣と国外逃亡したともいわれる。) その美しさが故に数奇な運命を辿らざるを得なかった西施の、何とも悲しい最期であった。
「地上の楽園・杭州」(杭州市旅游委員会編)


南宋御街 
800年前にここは南宋皇城の天街で、100年前には、ここは百業繁栄の福地であった。今、この歴代商業物語を携帯して、無数の人々の郷愁を寄託している「御街」は「生活品質の第一街」となった。 
 
南宋遺跡陳列館 
南宋遺跡陳列館の区域は元々南宋の「御街」の所在地であり、南側は「三省六部」と皇城保護エリアで、地下文物遺跡は豊富。南宋御街遺跡博物館は南宋御街、御街の橋脚基礎、道路、本堂旧跡、河道と石造の水門施設等の歴史遺跡を展示している。 
 
八卦田遺跡公園 
八卦田は南宋皇族が持つ田甫で、「九宮八格」の八卦の形をし、真ん中は丸いマウンドで、半分陰陽の太極図である。総面積は90ム余り、稻、麦、ミレー、アワ、豆等八種類の作物を植えて、八種類の色を呈している。今の八卦田遺跡は農耕文化を表現する農業科学普及園区と歴史文化遺跡公園となった。玉皇山の紫来洞は八卦田を見下ろす最も良い場所。 
 
南宋官窯博物館 
官窯というのは皇帝と皇室に磁器をつくる国営の陶磁器製作所である。南宋官窯博物館は、元の製作所の遺跡に建てられ、官窯と遺跡・出土文物を主な展示品とする。国営陶磁器製造所のつくった陶器は白粘土を原料とし、潤いとつやがあり、白玉のようにとても精緻につくられ、世界陶磁史の中で極めて重要な地位を占めている。 
 
浙江省博物館 
浙江省博物館は1929年に建てられ、浙江省内で最も大きい、収蔵、陳列、研究を一体とする総合的な人文科学の博物館である。収蔵文物は10万余りで、建築は江南地域の特色を持つ単体建筑と廊下を組み合わせて、「園の中に館があり、館の中に園がある」というと独特な布局となって、湖光山色の間に存在してあり、地上の楽園の杭州の新たな文化観光スポットとなる。
住所:孤山路25号
 
杭州料理博物館 
中国杭州料理博物館は南に銭塘江に臨み、北に蓮花峰に近い。建築は南宋風の杭州園林様式で、山の地形に沿って西から東へ半円形の建物である。全体は翡翠の緑色で、元々の生態公園の環境とうまく融合している。博物館は展示、体験と営業エリアを分けて、見学もできるし、参加体験もできる。
住所:鳳凰山路9号 江洋畈生態公園内
 
胡雪岩故居 
清同治十一年(1872年)に建てられ、建築面積は5800平米。中の十三楼、芝園、亭台楼閣、小さな橋、流れる水、明るい廊下等は、巧みな建築構造を見せている。レンガ彫刻、木雕り、石雕り、石灰雕りはすべて繊細で、その内、芝園の築山は国内現存の最大の人工鍾乳洞となっている。宅内は大量の紫檀、酸枝、楠木、銀杏、南洋杉、中国ブナ等の高級木材を使っていて、「清末中国巨富の第一宅」と言われていた。
住所:元宝街18号
 
西冷印社
書や水墨画を嗜む人にとって、杭州は一つの聖地となっている。西冷印社があるためだ。西冷印社とは西冷橋のかたわらにあったためこの名がある。金石・篆刻の研究を目的として設立された学術団体で、浙派と呼ばれる印の流派の流れを汲む4人の印人から始まった1904年、清の時代のことである。社員は経済的な苦労を乗り越えながら1904年には孤山南麓に土地を買い、西冷印社最初の建物である仰賢亭を建てた。以後少しずつ資金を集めて土地を買って社域を広げながら建物を建てヽ10年をかけて文人にふさわしい環境を整えたのである。
西冷印社の日常業務は杭州市内で行われているが、閑静な社内は見学可能で、いくつもの建物を訪れることができるようになっている。社内を巡ると由緒ある建物の数々が見られるだけでなく、社員によって書かれたり刻されたいくつもの書に出会うのは、好きな人にとっては実に心躍る思いがすることだろう。社内の宝印山房では篆刻用の石材を選んで買うこともできる。ここでならまがい物の石材はないため安心であるほか、希望すれば文字も刻してもらえる。書や絵を嗜むのであれば落款印を、嗜まない人であっても収蔵印や蔵書印、吉語印などをオーダーすれば日常に使えるものとなり、教養ある東洋人のたしなみとして愛蔵できる素晴らしい旅の土産となる。石材と共に好みの色の印泥を入手しておくとよい。品質が良いことで名高い西冷印社製の印泥は長い問傍らに置き、折々に押印しては旅の思い出を反徊することができる。 
 
霊隠寺 
中国禅宗十大古刹の一つ、霊隠寺は西湖西北の北高峰にある。326年、インドより渡来した高僧である慧理によって建立された。「雲林禅寺」とも呼ばれるほか、そのスケールの大きさから「東南第一禅院」とも呼ばれる名刹である。 空海が密教を持ち帰った後しばらく遣唐使の派遣がなかったため、日本では長い間禅宗が知られることはなかったが、唐の時代、武宗皇帝によって行われた破仏によって官制の仏教が衰退したのち、急速に勢力を強めたのが禅宗であった。霊隠寺の主な建物に「雲林禅寺」と書かれた額が掛けられた天王殿がある。弥勒菩薩像を祀り、四天王像と葦駄天像が安置されている。葦駄天像は一本の楠から彫られている。それに対して、大雄宝殿にある金色の釈迦似如来像は24本もの楠を使って彫られたもので、19.6メートルの高さを持つ、中国でも最大級の座仏である。
谷川を隔てた寺の対岸には「飛来峰」と呼ばれる標高160メートルの山がある。ここには72の洞窟があるほか、五大十国時代から彫られた石像や磨崖仏が多く残されている。飛来峰で一番大きな洞窟は青林洞と呼ばれ中国で言うところの「西方三聖」である勢至菩薩、観音菩薩、阿弥陀如来の像がある。これらは951年に彫られた、飛来峰で一番歴史の古い仏像である。青林洞の隣には玉乳洞があり、入口の右側には財神が彫られている。右手で財神の右手を触り、次にその手をポケットに入れると一年関金運が良いそうだ。一見、布袋様のように恰幅が良く大きな□を開いて笑っているのは、実は飛来峰のシンボルである弥勒菩薩像である。禅宗といえば日本では詫び寂の世界を連想するが、ここ霊隠寺においては屋根の稜線の独特な曲線美やカラフルなお香の売り場、大口を開いて笑う仏像が強く旅人の目を引く。所変われば、禅寺の雰囲気は随分と変わるようである。 
 
城隍閣 
 
浄慈寺 
浄慈寺は南宋時代に「禅宗五山」と呼ばれた寺の一つ。953年、呉越王の勅願によって建立された。日本の曹洞宗の開祖である道元禅師は入宋した後、師を求めて遍歴した。最終的に道元が機縁かなったのが如浄大師である。浄慈寺にはこの如浄大師のお墓が残されている。浄慈寺の鐘楼には、かつて明代に鋳造された大きな鐘があり、撞くと杭州市内に響いたという。この情景は「南塀晩鐘」と呼ばれ、西湖十景の一つに数えられている。当初の鐘は戦争で焼けてしまってもうないが、日本の曹洞宗が1986年に新しい鐘を寄進した。1987年からは毎年、浙江省旅游局主催による除夜の鐘撞きイベントが行われている。
 
雷峰塔 
 
岳王廟 
岳王廟は北宋の将軍であった岳飛を祀る廟である。岳飛は武勇に優れ、金との戦いで軍功を上げて人気を得たが、その後の和平交渉の流れの中で危険視され、えん罪を着せられ、養子、岳飛軍幹部と共に投獄されたのち毒殺された。1141年、岳飛39歳の時のことである。その後、冤罪が証明されてからは名誉が回復され、1221年には岳王廟が建てられた。岳王廟は忠烈廟、啓忠祠、岳飛墓よりなっており、忠烈廟の中には岳飛の塑像が祀られている。陰謀により非業の死を遂げた岳飛だが、今では救国の英雄として、中国全土でその名を語り継がれている。 
 
杭州動物園
虎・泉に隣接するこの動物園は1975年に造られたもの。自然の景観を生かした構造で、浙江省特産のジャコウネコ、ウグイス、金魚、ヘビのほか、中国の人気者であるパンダ、孫悟空のモデルとなったといわれる金絲狼(キンシコウ)、クジャク、丹頂ヅル、ライオン、東北トラなど、とても中国らしい動物がみられる。
 
杭州碑林 
南宋時代の孔子を祀った廟で、かつては杭州文廟と呼ばれた。南宋の太学石経、唐の碑や刻石、墓誌、書状など400あまりの所蔵品を持つ石碑の博物館。世界でもっとも古い歴史を誇る石刻星象図である「五代石刻星象図」をはじめ、歴史的、芸術的価値ある品も多い。
 
西湖天地 
西湖畔に設けられた最新のおしやれスポット。レトロな雰囲気の建物と、西湖を借景にした庭園で構成されており、スターバックスなどのカフェやイタリアンのレストラン、眺望、インテリアともに抜群の中華料理店などが建ち並んでいる。  
 
六和塔 
呉越王の銭淑の命で岸に建立された八角形の塔で、北宋時代の初期、970年に完成した。この塔は、銭塘江の氾濫を鎮めることを目的として建てられたもの。当初は高さが約170mもある9層の塔だったが、北宋末期に破壊された。現存するものは、レンガで造られた中心部については南宋時代の1163年に、外側の木造部分は1900年に再建されたもの。高さは約60mで、外見上は13層に見えるが、内部は7層の構造になっている。螺旋階段で塔の最上階まで登ることができ、銭塘江を一望できる 
 
銭塘江 
浙江省一の大河である銭塘江は、満潮時に大規模な逆流が見られることで知られている。この現象は、世界でもブラジルのアマゾン川とこの銭塘江のみで見られるもの。地形的な特徴と潮の満ち干の関係でおこるこの逆流は毎月旧暦の月初と下旬にあるが、一年でもつとも大規模なのが旧暦8月旧日前後で、約10万トンの海水が時速約25hで遡る。鑑賞にもつとも適した場所は杭州から50面ほど離れた塩官で、毎年多くの観光客が訪れる。 
 
宋城
西湖の西南郊外にある、宋代文化のテーマパーク。園内は北宋時代に描かれた「清明上河図」 (せいめいじようがず)をもとに、店舗や宿泊施設をも含む町並みが再現されていている。夜には大劇場で南宋時代をテーマにしたミュージカルが演じられ、幅40m、高さ20mの大噴水をウォータースクリーンとして利用した映画を楽しむこともできる。 
 
 
 
 
杭州市は蕭山、余杭二つの区及び富陽、臨安、建德、桐庐、淳安5つの県市を管轄して、「大杭州」と言う。美しい県(市)星のように杭州を囲んでいる。彼らはそれぞれ特色のある歴史文化、習慣風俗、壮観或いは秀麗な自然景観を持って、杭州市内の風光と補完する。「杭州より西は素晴らしさが限りなく」