東南名刹 
「東南佛國」の杭州は「佛三多い(仏教名勝が多い、僧侶が多い、仏教の宝物が多い」と言われる。霊隠寺を核心に、法喜寺、法浄寺、法鏡寺、韬光寺、永福寺と佛学芸術研修苑が大霊隠観光エリアと構成している。飛来峰の石像は中国南方石窟芸術の宝で、雷峰塔地下宫で出土された金箔純銀の阿育王塔、金箔銅製の释迦牟尼説法の像等は貴重な文物である。杭州の濃厚な仏教文化はこの町に独特な人文気質を与える。
 
禅茶文化
禅茶というのは寺院の僧侶が栽培、摘み、飲むお茶を指す。主に佛に差しえたり、自分で飲んだり、接客と贈呈したりする。禅はひとつの領域であり、禅と茶は長い歴史発展の中で接触し、取り入れ合って、最後に禅茶文化となった。「禅茶一味」を追求し、「正、清、和、雅」を精神とする。 

霊隠寺 
霊隱禅寺は西湖の西北にあって、“雲林禅寺”ともよばれている最も古い寺院であり、中国仏教の著名な寺院で、江南著名な古刹の一つでもある。寺院の中は樹木が茂て、清らかな渓流が流れ、飛来峰が聳え立つ静かで景色の綺麗な観光地である。 
飛来峰 
飛来峰は霊鷲峰とも呼ばれ、長期に地下水の溶食に寄って、様々な洞窟ができた。山に五代十国時代から彫られた石像が残って、中国江南では珍しい古代石窟芸術の宝である。飛来峰の至るところに奇石、古樹、洞窟があり、霊隠、三天竺あたりの佛國雰囲気の中で、仏教芸術に魅了される。 
浄慈寺 
浄慈寺は紀元954年の五代呉越国時代に初めて建立された仏教建築で、13世紀の南宋時代に国家最高ランクの仏教寺院「五山十刹」の一つとされたことがある。中国東南沿海地区の最も重要な佛教活動の場所の一つでとされたこともある。中には、高さが11メーターに達する国内でも珍しい千仏が囲まれる青銅器の大毗盧佛が祀られて、本堂の前には日中合作の銅製の鐘があり、重さは二万斤(10トン)。有名な済公禅師がここで修行したことがあり、「古井戸運木」等の伝説が残されている。 
香積寺 
香積寺は「運河第一香」と称される。立派な建築は美しい運河の岸辺に仏教文化と共にハーモニーな楽章を演奏し、古典と現代の対話の中で、中国繁栄の雄大さを現している。寺内の双塔は杭州現存の唯一の清代の佛塔である。 
径山寺 
径山寺は江南五大禅宗寺院のトップで、気候が温暖で、山水が綺麗で、山々に囲まれている。木が茂て、竹林が青々として、「百万峻松双径皙,三千楼閣五峰寒」と賞賛されている。大鐘楼、鼓楼、龍井泉等の著名な名勝旧跡があり、山も、水もお茶も良い。径山寺は日本茶道の発祥地でもある。 
禅源寺 
禅源寺は浙江省臨安市西天目山南麓の昭明、旭日两峰の下にあり、山に囲まれて、青山と緑の林に隠れている。韋駄天菩薩の道場で、浙江省の名刹の一つである。 


 
杭州で栄えた禅宗
杭州は日本曹洞宗と深い関わりがある。禅宗以前には弘法大師空海が入唐し、806年に帰国して密教の完全な体系を日本にもたらした後、30年余りの長きに渡り遣唐使の派遣が行われなかったという歴史がある。 当時、その現世利益の力によって官制の宗教となっていた密教は外国人である空海に伝えられ、空海は密教体系の全てを日本へ持ち帰った。その後、本国で密教を受け継いだただ一人の僧が早逝したため中国の密教は廃れてしまうことになる。さらに、845年、武宋皇帝による仏教迫害(会昌の法難)が既存の仏教勢力の衰退を招いた。そんな中、国家と結びついていない上、教義上、教典に頼ることのなかった禅宗は、法難が過ぎた後、急激に栄えることとなった。 
杭州と日本曹洞宗 
時代は宋となり、禅宗が国教となるに従って国家権力に超越する力が弱まり、衰退期にさしかかった頃に入宋したのが日本曹洞宗の開祖、道元禅師である。1223年のことであった。前述の通り、空海が密教を受け継いだ後30年余りの間は唐との交流が途絶えていたため、中国における仏教の流れが日本に伝わることはなかったし、杭州はまだチンギスーハーンに脅かされる状況ではなかった。道元は余計な情報に心煩わされることなく「禅宗五山」と呼ばれた最高の官刹を主として、師を求める遍歴を行ったのである。
道元と如浄 
道元が入宋して最初に入ったのが天星山であった。そこでは思うような師と巡り合えずに遍歴に出たのと入れ違いのようにして、浄慈寺にいた高僧である如浄が前住職の遺言により天童山の住職となった・道元ぱ夫童にとって返し、「まのあ七り蛤をみる。これ人に逢ふなり」との機縁を喜んだことが「正法眼蔵」に記されている。ついに巡り合った正師如浄の元で道元は大悟するのである。
道元と浄慈寺 
「禅宗五山」 と呼ばれた径山萬寿禅寺、浄慈寺、天童寺、阿育王寺は全て浙江省内にある。その中で953年に呉越王の勅願によって建てられた浄慈寺は杭州にあり道元の正師である如浄の墓はそこにある。浄慈寺の鐘楼には明代に重さ約10トンもある大釣鐘があり、その音が杭州城内まで響いたことから西湖十景の一つ「南塀晩と呼ばれるようになった。